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哀しくも炎上中の木造復元の首里城をみると名古屋城木造復元論争で見かけた
「鉄筋コンクリート復元の大阪城や名古屋城は伝統に則っていないと今だから言えるのであって、当時の『最高の技術で建築』思想に従えばあれが最適解」
な意見にも説得力を感じます。— とりなひと𓅸 (@VehiclesGeneral) October 30, 2019
つ【コンクリートを混ぜる】
— おおみやん (@ohmiyan2011) October 31, 2019
熱帯夜構造なんだよ(笑)
電気の無い時代の作りだからな
歴史的建造物は大抵
こんな感じで燃えると思うぞ。コンクリートで復元って
案も出るだろうけどねぇ(笑)— 獅子丸🍄妄想ファンタジー🍄ฅ(๑•̀ω•́๑)ฅガオー (@n2suUkceBGLBxFT) October 31, 2019
コンクリートやセメントは、打った後が大事でしてね。急激な乾燥や直射日光はご法度なのです‥と言う知識を得ました。グーグルサイコーですねハハッ…ははは…
— ふらふらはしる (@hrfr84) October 31, 2019
技術的興味とおうちかえりたい気持ち、会社の面子と営業の思惑とをコンクリートミキサーにかけてぶちまけたここはイット業界のマトリョシカ。
次回「柏木の選択」
来年度、そんな先の事はわからない。— 柏木礼治 (@Kasiwagi3) October 31, 2019
ここでは140kg/㎥の鉄筋量で日建設計が想定していた床荷重の数字がわかりませんし、コンクリート量当り鉄筋量の話が出てくるのはこの議事録だけなので、その後どうなったのか、最終的な鉄筋量がいくらになったのか、これはわかりません。 #建築と政治1
— k_wota (@k_wota) October 31, 2019
・コンクリート量当りの鉄筋量が一律140kg/㎥で見ているが、柱・梁・スラブの平均値としては多すぎるのでは。(都)→見直す。(設計者)
議事録2011年6月8日
#建築と政治1 pic.twitter.com/xP8pZK4vDD— k_wota (@k_wota) October 31, 2019
コンクリートロードはやめたほうがいいぜ
— マナみ (@mana_aprilfool) October 31, 2019
そういう事を知っているのになぜ、豊洲ではこの床荷重なんだ、という事になりますが、設計打合せの議事録を見てみると、設計の初期の段階で都からコンクリートに使う鉄筋の総量を抑制する指示があり、まず鉄筋の総量ありきで日建設計が設計した結果、床荷重が決まった様子が伺えます。 #建築と政治1
— k_wota (@k_wota) October 31, 2019
今出川の同志社③
同志社大学有終館 1887年 #近代建築 重文
図書館として創設 1928年内部を火災で焼失。外壁内側を鉄筋コンクリートで補強し使用継続。 pic.twitter.com/ySo37Kvm23— マーくん@北河内 PrayforKyotoAnimation (@ko_0021) October 31, 2019
首里城の消失は残念だけど何の感情も湧かないというかなんというか
ただの観光施設に成り下がった城のレプリカでしかないからなぁ
それより文化や歴史を奪われた事実にもっと怒っていい気がするんだよな
いっそコンクリートで建て直せばいいんじゃないの?— aaaa (@pw9n8erhg29df) October 31, 2019